2006年10月6日金曜日

トレント 800年代の足跡を訪ねて(1)


トレントの歴史のなかで、800年代に行われた都市計画はその後の町の発展に大きく影響を及ぼしたそうだ。 それはアディジェ川の移動であり、1850年から60年までの10年間に渡って施工されたブレンネロ鉄道の設置だった。

Mart主催による『トレントの800年代』ガイド付き市内観光の覚書です。

<ダンテ広場とダンテ・アリギエリの記念碑>

トレントの駅前にある『ダンテ広場』はアディジェ川の移動にともない、1879年トレントで初の公共庭園として設計された。庭園の中心にあるダンテ記念碑は1896年にフィレンツェの彫刻家チェーザレ・ゾッキの作。台座の碑文にはダンテが『イタリア語の父』の象徴であるとともに『イタリア国民』の証拠であることが刻まれている。当時のイッレデンタ併合主義精神の明らかな関連であろう。

<前インペリアルホテル>

現在トレント県庁事務所。1873年から74年、トレントの始めての大型ホテルとして建築された。スチーム暖房や内部のエレベーターの設置などに当時の前衛的な建築が見られる。建物の一部は1898年エミリオ・パオルによってシュロのある庭園とともに増設されたもの。

<サン・ピエトロ教会>

もともと1477年に遡る建物。現在見られるファサードはネオゴシック様式で、1848年から1851年の間にガスパロ・ボルトラッツィの遺贈によって実現した。プロジェクトはトレントの特別なエピソードをもとに、パドヴァのピエトロ・エステンセ・セルヴァティコに担われた。

木製の扉にシモニーノと呼ばれる子供の彫刻が施されている。1475年の復活祭の週にユダヤ人地区を横切っていたアディジェ川の水路でシモーネという名の3歳の子供が水死体で見つかったことで、当時ユダヤ人共同体が非難を受け、深刻な裁判に発展したらしい。一方で、ユダヤ人のシモニーノ崇拝が高まったというエピソードがあるそうだ。しかし1964年に新な調査の結果、ユダヤ人の無罪が判定、翌年にサン・ピエトロ教会はシモニーノ信仰の廃止をしたそうである。

2006年10月1日日曜日

音のしわざ

パラッツォ・ロッカブルーナで行われていた『音の新しいかたちを見つける』と題した展示会に行ってきました。
フィエンメ渓谷は材木業が盛んで、歴史を遡ること12世紀から今日にいたるまでここに住む住人が築き上げてきた伝統である。
すでに16世紀頃から、この地に育成するモミの木に優れた音響効果があることは知られ、アマ-ティ、グアルネリ、偉大なストラディヴァリなど、クレモナの著名リュート製作者たちからも求められていた材質だそうだ。

フィエンメ渓谷の有限会社チレサ(Ciresa s.r.l)は50年以上にわたり、材木の選択から基礎行程の伝統をベースに現在の音響製品の製作を行っている。ピアノ、ハープ、ハープシコードのための調和のとれた木版の良質の製造は広く知られ、世界各国の楽器製造者からも多くの依頼がある。

厚さ、音、かたちの調和が音のマジックをおこす要因であり、フィエンメ渓谷のモミの木に隠されたものである。オペレ・ソノラは伝統的な楽器製造の技術をもとに、芸術的なデザインと独特なアイデアによって、質の高い音響空間の、しかも自然の音を鑑賞することもできる調度品を設計している。