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2022年6月30日木曜日

Feste vigiliane  聖ヴィジリオ祭



6月26日はトレント守護聖人ヴィジリオの祝日であるが、前後約一週間にわたる聖人を祝う「Feste Vigiliane」(聖ヴィジリオ祭)は、トレントの暑い夏の始まりの”熱い祭”になっている。

初日はチェントロ・ストーリコ(歴史的中心地区)に伝統的衣装で着飾った老若男女の一段が練り歩り、いかにも開催を示唆する。中心地や城などに残されたフレスコ画にも見られる貴族たちの衣装にも実に忠実で、何百年も過去の人物の真似事にもかかわらず、現代でもすっかり見慣れて、親しい人々であるかのような錯覚にもおちいるのである。

初日の夜には、その年の著名人(政治家など)に対して罪を問い(ややコミカルに)刑罰を受ける(「トンカ」される)人物を決定する。今年は、サンタ・キアラ病院の移転に関して10年以上に渡り討論されながら未だに最終決定できない悪政治に対して、元トレント市長、県知事などが数人が罪を問われる。長期的な大きな課題(問題)で、未だになお病院移転の気配はない、というのは事実である。

前週の週末土曜日は年に一度の長い長い夜、中心地の商店街もバールもオープン、小広場は音楽やDJライブも夜中まで騒音が許される日なのである。

期間中は工芸品のマーケット、夕暮れの散歩途中にちょうどいい具合にバーやフードスタンドが空いている。公園も近頃流行りのフードトラックのストリートフードコートになり、暑い日中も広場はライブ会場になるから、若者たちも足を運ばない理由はない。

さて最大イベントのひとつ、アディジェ川の「Palio dell'Oca」( ガチョウレース)は相変わらず人気のひとつである。

トレント村落の有志たちによるハンドメイド筏レースである。北部ロンカフォルト地域から幾つかの課題をこなしながら、中心地にほど近いさんロレンツォ橋まで下降してくるのだが、その間河岸にいるガチョウに触る、中央のカゴにボールを投げいれる、河岸に上陸する、終着時に竿で鐘を鳴らすというような幾つかの課題がある。川の流れは意外にも早く、蛇行もあるので、川に落ちたり、なかなかボールがカゴにシュートできないなどと、ゴールインまで観客もハラハラ応援にも力がこもる。課題が成功すると加点され、勝利は速さと技術が問われる筏レースである。

レースと表彰式も終わると、サン・ロレンツォ橋のたもとでは「トンカ」が行われる。カゴに入った罪人がアディジェ川に落とされる刑罰を眺める、というわけである。

トンカの儀式はカゴに入れた罪人をアデジェ川に3回沈める14世紀から16世紀頃に行われていた刑罰で、当時は3回沈める間に溺れ死ぬことも多くあったという。アディジェ川は18世紀半ばに現在の位置に移動されたわけだが、かつて流れていた河岸に建つTorre Verde (緑の塔)から罪人を落としていた、というのだからちょっと残虐な過去も引き継いでいる。もちろん現在の祭のイベントでは溺れるほど沈めないちょっとしたコミカルなイベントになっているのであるが。

さて、26日当日は司教のミサ行進が町を練り歩く。

夕暮れから最大?イベント「La Mascherada dei Ciuji e dei Gobj」(チュージとゴビのマスケラーダ)トレント人とフェルトレ人のポレンタを巡る奪い合う?伝統行事がある。5世紀頃の実際にあったエピソードの再現が始まりで、20世紀になり再度伝統行事として見直されたもの。ポレンタはトレント地方の主食であり地方食文化の象徴なのであるが、フェルトレ人のトレント侵攻を守る様子を、食の奪い合いに例えたパフォーマンスである。

現在は、それぞれ当時の地方色を表す二色の簡易服を装いマスケラを付けたフェルトレ人(チュージ)とトレント人(ゴジ)が、ポレンタが出来上がるまでの間に鍋を奪い合う。中心で女性が煮込み専用の銅製鍋(パイオロ)でお湯を沸かし、とうもろこしの粉を入れて煉り回しながらポレンタを作る時間は約40分間。トレント人はポレンタを守り、フェルトレ人はそれを奪おうと戦うもの。

今年は姉妹都市からベルリン市長とプラハ副市長も招待。前座にフィレンツェから共和国団がスバンドとともに行進、ウフィツィの旗手団がパフォーマンスも披露するなど日暮れ後、21時頃始まるマスケラーダを待つ間も退屈することなく楽しませてくれたのは言うまでもない。結果はトレント人(ゴジ)が勝利をおさめる。大歓声!

祭の締めくくりはアデシジェ河岸に花火が上がる。恒例行事なのだが、2年間コロナ禍でほとんどすべての野外イベントも中止、今年はようやく”再出発”という気持ちになってきているのだ、きっと。見慣れた花火も、より華やかに盛大に行われた感がする。マスクもはずして、人混みにまみれて、夜空を大勢で皆で見上げたヴィジリオ祭の閉めくくりだった。



2022年1月25日火曜日

コロナ共存トレント人

新型COVID19感染増加が懸念されるこの頃、イタリアは再三の行動制限の見直しがされている。

今や日常生活には携帯必需品のひとつとなった「グリーンパス」は、ワクチン接種済み、または指定の検査によるCOVID19陰性証明書を総称していて、至る場所でその提示が求められている。2月からはさらに「強化グリーンパス」(有効なワクチン摂取証明書)と区別され、文化施設、公共交通機関の乗車などはこちらの提示が必要である。つまりワクチン接種が済んでいないと支障がおよぶ場合・場所も出てくるのだ。

また在伊(外国人を含む)50歳以上はワクチン接種が義務化され、怠ったものは罰金も課せられるそうだ。予防対策の大きな一歩ではないかなと思っているが、義務化しなければならなくなるほど強い反対派が世間に混乱を起こしているのは事実である。

大学教・職員、芸術・音楽学院、高等学校の教・職員もワクチン接種が義務付けられ、教育関係機関は新年から一斉に通常授業に戻ることとなった。

また銀行、市庁舎、郵便局、軍事局への入場、中小売店への入場はグリーンパスの提示が必要。先駆けて1月20日からは理美容院、エスティックサロンもパスの提示が求められることとなった。(クライアントとかなり接近している職業なのだから、今までフリーだったの不思議なくらいだが。)

バール・レストラン等飲食店は着席はもちろん、着席せずに飲食する場合もグリーンパスの要提示のため、今まで以上に予防対策されているかどうかをコントロールされるというわけ。

それから市内中心地や密集地でのマスク着用義務は当然のことながら、つまりは自宅を出たら自宅に戻るまでの屋外ではマスク着用していたほうが懸命ということ。(ほぼ皆さん着けてるけど)ちなみに先の公共交通機関の乗車や文化施設の入場はサジカルマスクFFp2が指定されている。この条例が出たばかりは”マスク売切れ”が発生したが、現在はちゃんと流通している、しかも値下がりで。

思いつくところはこんなところだが、文化施設・イベントをはじめとした要予約制で、入場制限があることにより混雑しないのでかえってありがたい。

さて市内でのワクチン接種は郊外の大型仮設テント会場において、県内ではいくつかの特設会場で、休憩なしの時間帯で行われている。週末も予約なしでの接種が可能な会場が設置され、トレント県内は予防対策に最善を尽くしているという印象。

私は3回目接種の予約をインターネットで検索したが、やっととれたのが一月末、車で15分の隣市会場に行く予定だった。仕方がないと思いながらも、夫のトレントでの予約日に同行した際、予約なし受付けで申し込みができ、あまり長い行列を待つ事なく接種完了。

ワクチン接種会場で気がついたのが、簡素な仮設テント内外には思いがけず多くの若者が働いていることだった。確かに時間外(週末)に働ける人は限られていたせいだったのかもしれないが、会場には明らかに「若者」のほうが多く、ハキハキ元気な対応してもらえたのは、数々の心配がわずかでも減少(解消?)したと思える。それにしても皆さん本当にお疲れさまです。

今回はワクチン後の発熱の副反応があったが、解熱剤の服用で二日後にはすっかり完治した。その時の体調にもよるとも思うので、やはり日頃の健康留意は重要ではないかな。

コロナ共存3年目、ともかく私自身はブースターワクチン接種を終え、政府推奨予防対策を遂行、日常生活の自由(比較的?)を確保している状態である。とはいえ、まだまだ油断できませんね。

2022年1月10日月曜日

寒中お見舞い申し上げます #happynewyear #buonanno 

寒中お見舞い申し上げます。


新年いかがお過ごしでしょうか。

昨年は自宅隔離中のなか年始を迎えました。夫がようやく平熱に戻り、年明けのPCR検査結果で陰性になったのち、早速行った私の検査の結果はなんと陽性。従って私だけさらに二週間の隔離を要請され、結果的にほぼ一月家に篭っておりました。無症状でいたって元気でおりましたが。

その後ワクチン接種、首相令の行動範囲も緩和され、公私共々「通常」になりつつありました。おかげさまでクリスマスの昼食も家族親戚とともに食卓を囲み、大晦日も少ない友人たちと一年を振り返りながら、”だからといって昨年の出来事で無かったほうがよかった事は何もない”という見解が一致。確かに今までにない環境で過ごした一年であっても、さまざまな修正を行いながら、コロナ禍と共存、少なくとも年の終わりと始めに会った友人知人たちが元気で前向きということにも勇気付けられました。

まずは穏やかに新しい年が迎えられたことを感謝。そして一日一日を大切にしなければいけませんね。何しろおちおちしていると、見逃しや聞き逃し、やり逃しがあるのではないかと、時間のほうが先を超えてしまう、そういう日々の速さを感じております。